はな日記

記事を書く人は3人だったけど、みんな飽きちゃった

頭の中がポテトになる理由

なぜ、ポテトを考えるのか

嫌なことがあったとき、嬉しいことがあったときポテトを考える。

ポテトは単にじゃがいもをイメージすることではない。思考をフラットにするときにいきつく先なのだ。

それがポテトという存在なのだ。

人によって、このポテトはポテトではない。キュウリかもしれないし夜景かもしれない。思考の安息の場所だ。

記憶のなかでも色褪せないポテト。

駅のマクドナルドでポテトを頼もう